メモ続き

やっと一通り読み終わったので、自分の中で風化しないうちにメモ。既に落ち着いたみたいだし、この件を追うのはとりあえずこのへんまでにしたい。
(……というか、3日ぐらいかけて書いてたら(平日に長文なんぞ書いてられんわ)すっかり時期を外してしまった)

ゲーム=芸術?

http://dos-sonority.jugem.jp/?eid=639
http://blogs.dion.ne.jp/alvinus/archives/3142086.html
まあ、「映画が芸術たりえる」程度には、ゲームも芸術たりえるのではないかと思う。ところで、

こういう伝統的な芸術形態の発想、つまり「偉大なる芸術家が、恐れ多くもその才能の一片を無知蒙昧なる大衆に施したまう」というあり方は、あまりにも独裁的ではないだろうか。

こういう考え方は一般的なのかな? そもそも、ある作品を芸術として受け入れるかどうかの選択権は大衆の側にあって、芸術家のほうから押し付けるのは「不可能」だと思うんだけど。実際、時代を越えて芸術作品として残っていくものは、幾多の批判に耐えたものだけだろうし。

登場人物が足りない

http://blog.livedoor.jp/gameplan/archives/50247920.html
前のエントリを書いたとき微妙に何かが引っかかってたんですが、これですよ、これ。
実際、ゲーム(に限らないけど)で論争になるのって、「その作品を好きな人が、安易な(あるいはそう見える)批判を目にしたとき」が圧倒的に多いわけで。つか、今回もそうだよね(くり返すが、実際にアマゾンのレビューが安易な批判だったかどうかは知らん)。

作品か商品か

http://d.hatena.ne.jp/bolt69/20060330
んー、どうも違和感がある。そもそも作品と商品は対立する概念なんだろうか?
ゲームってのは、「娯楽作品を商品として」売ってるものだと思うんだけど。漫画でも小説でも映画でも、まあなんでもいいんだけど、そういった「実用性のないもの」って、多くの場合「作品として」買ってるんじゃないの?
ところで、新明解のステキ解釈によると、「作品」とは

心をこめて制作したもの。

だそうです。

大本

ちょっと細かめに。
http://naoya.g.hatena.ne.jp/naoya/20060320/1142833991

弊社の某氏もトマトの時点でつまんねえとか言ってて、正直おまえはチュートリアルだってことすら空気読めないのかと憤慨した。

チュートリアルは最初の集団戦ではなかろうか。あそこは敵も味方もわらわらいて面白くなりそうな感じなのに、本編が始まったら、目的もまったく見えないままひとりでチマチマ狼狩りでは「つまらない」と思うのも無理はない。前に書いたとおり、FF12はいろいろなシステムを制限しすぎだと思う。恐らく「いきなり何もかもできるようになると混乱するユーザーがいる」ことへの対策というか、まあ親切のつもりなのだろうけど、それで楽しさまで制限してしまっては本末転倒だと思う。

FF12 はやればやるほど面白くなる、

つまり、トマトの時点で「戦闘がつまらない」という評価はアリということだろう。そして、その時点でやめるか、我慢して続けるかはプレイヤーの自由。
僕の場合、最初に「面白くなってきた」と思ったのは、物語の主人公と耳の長い人が加わってパーティプレイになったときだった。そして「さらに面白くなった」瞬間は残念ながらまだ訪れていない(やたら骸骨がチェインしまくるのはそこそこ楽しかったがすぐ飽きた)。ガンビットのターゲットがある程度揃えば面白くなるだろうという予感はあるけど。

つーか作り手は明らかに今までの作品とは趣の異なるものを作ろうして作ったというのが分かるだろうに今までどおりの展開を期待してどうするんだっていう。

FFは毎回(とまではいかないが)作風を変えてくるシリーズであり(例えば6のスチームパンク的ファンタジー、7のサイバーパンク的ファンタジー、8の学園物的ファンタジー、10のアジア的ファンタジー)、毎回(とまではいかないが)システムを変えてくるシリーズである(例えば2の成長システム、3のジョブチェンジ、4のATB、5のアビリティ、8のジャンクション、10のCTB)ので、そもそも「今までどおり」というものがない気がするが。「今までどおり」を期待するということは、1、2作しかやってない人なんではなかろうか。
http://naoya.g.hatena.ne.jp/naoya/20060323/1143099465

しかし僕はその反論こそが間違いだと思う。一つは、実際に人格攻撃されているように感じてる人がいるという事実があること、もう一つは、人が作った作品というのは、その作り手が「良い」と思ったことを精一杯に表現したものであり、それはその人の価値観そのものだから。だから、作者が批判されると、自分の価値観が批判され、人格を攻撃されたように感じるのです。

「作品=作家の価値観」というのには同意。というか、「個人(またはごく少人数)による創作」に対する意見だとすればほぼ全面的に同意できる。
ただ、FFの制作は分業がかなり徹底されている(らしい)ので、個々人の価値観はほとんど反映されてないと思う(というかFFに限らず、集団による制作でそれぞれのスタッフがそれぞれの価値観で作っていたら、スケジュールは崩壊し完成すらおぼつかないし……)。もちろん、プロデューサーや、チーフクラスのスタッフの価値観は反映されてるだろうけど(それだけの立場の人間なら批判を受け流すスキルぐらい持ってるよね)。

でも、少なくとも Amazon のレビューのようなところで、その作品を「駄作」とまでレッテルを貼るからには、もっとその作品について時間をかけて見てからにするべきなんではないか。

たいしてプレイしないで「駄作」と評するようなバランス感覚には共感できないが、「短時間のプレイによるレビュー」であることが示されていれば、わざわざつまらないと思っているゲームに時間をかける必要はないと思う。例えば「3時間やったけどつまらなかった」というレビューであれば、時間のない人やゲームは「つかみ」が大事だと思っている人は回避することができる。

メモ

程好いバランス感覚を持っていると思ったものとか、なるほどと思えるエントリとか。
http://yoshidakosuke.com/archives/200603/24_045738.php
http://d.hatena.ne.jp/lastline/20060328
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20060403
他にもいくつかあった気がするけど、見失ってしまった。