※今日の文章は(いつにもまして)おかしいので無理して読まなくて良いです。
最近、恐ろしいまでに時間がない。僕だけ1日20時間ぐらいなんじゃないの? と思いたくなるぐらい、いつのまにか寝なきゃならない時間を過ぎていたり家を出なくちゃならない時間を過ぎていたりAパートが終わっていたりする。酷いときにはAパートの終わりでチャプター分けをしないまま次回予告が始まってたりする。こりゃやばい。何の話だ? ようするに時間を使うのは難しいという話だ。単に注意力が3万しかないだけなのかもしれないが。
まあ、そんなわけで書きたいことを書くだけの時間もなかなか取れない。「『ドラゴンクエスト2』の戦闘バランス」とか「FC版『ファイナルファンタジー』シリーズにおけるグラフィック重視のための工夫」とかについて書きたいのだが……。
あと、ゲームにおける『死の表現』(http://d.hatena.ne.jp/hiyokoya/20050717) についてもちょっと書きたい気もするのだが、上手く考えがまとまらない。とりあえず、FFシリーズにおける「戦闘不能」は、死の隠蔽でも婉曲でもないと思った。というのは、FF2で「死んでるはずのゴードンがイベントシーンになった途端元気に動き回りヒルダを助け出した」ことがあって(まあそれ自体は「うちのフィン王はゾンビなんだぜ」という笑い話にもならなかったんだけど)、その後FF4で「戦闘不能」という表記を見たときに「上手いな」と妙に納得したからなんだけど……。単純にシナリオとシステムの齟齬というか矛盾を回避するための方便に過ぎないのではないかと。ところでこのデータベース(http://www.critiqueofgames.net/data/statistics/dead.html)は、もっとデータが集まれば面白くなりそうな感じですね。マザーやサガの1作目やヘラクレスが抜けてるのが残念。あと、死の「表現」だけでなく死の「概念」(というかルール付け)まで広げると、霊体になってマップ上をうろつける風ザナ(死んでも、マップ見放題というメリットがあり、ゲーム的にも面白い)とか、レアアイテムによるその場復活(英雄伝説やサガ2の「戦闘開始状態」まで戻るのとは違い、敵の状態はそのままでこちらだけ全回復する……と書いてて思ったがイースのエリクサーみたいなものか)があるバベルとか、ロードがクローン再生扱いのサイバーナイト(「セーブ/ロード」という本来ゲームシステム側にあるはずの概念が世界設定に組み込まれているというのが興味深い)とか、面白いのも結構あるね。
……と、たまには何も考えずにごちゃごちゃ書いてみようかと。